~研究会とともに21年~ 私のひとりごと②

「まぁ、お入りなさい」、
 受付カウンターの前に立って話す私に「ある人」は、
部屋に入るよう促してくれました。
 平成2年、暑い夏の日の昼過ぎでした。
私が「飛び込み訪問(営業)」を思い立ったのは
独立開業して9年目のことでした。
 それまでは、年に数回、京都新聞や地域に配布される
「リビング新聞」に小さな広告を掲載するのと、
ダイレクトメールで「お客様を待つ」というのが私の営業でした。
 これは、私に限ったことではなく、資格士業の一般的な
「受任型」(待ち・受け身体質)の営業方法でした。が。
何か物足りなく、お客様との距離感・営業の実感・充実感のなさを
感じていました。そんな自分を打開する意味もあって
「飛び込み」をしてみようと思ったのです。
「物足りなさ」を感じた背景には、
前職(特許・法律事務所)の時に顧問先のお客様と、
他愛ない世間話や雑談をよくしていたことにあります。

 「その話、うちの社員にしてくれへんか」。
その話の打ち合わせをすすめる中で、
グループ討論での「社員教育」に進化、そのお客様の代理店や
系列会社で、その「社員教育」をやるようになりました。
 そこでの疑似現場体験の繰り返しが「現場からの発想と実践」の
認識を深めさせてくれました。
それが、「現場」との距離があることに「物足りなさ」を
感じさせていたのだと思います。
 そんな背景もあって、行政書士事務所とは別に、
有限会社オフィス岩本を設立しました。

さて、行政書士業務で、
 どの業者に「飛び込む」か?は、すぐに決まりました。
宅建業者です。
私が、宅建取引主任者(現宅建士)の資格を持っていたことと、
宅建免許申請の仕事の経験があったからです。
どの地域に「飛び込む」か?それは、すぐには決まりませんでした。

「近所は、ちょっと恥ずかしいナァ~」、これが正直なところです。

地元、西京区と右京区を避け、左京区、北区、山科区にしました。
 目標は、月の内7日間、1日最低5件。
名簿で免許更新の時期となる地区の業者を選別しました。 
 いよいよ「飛び込み」開始。
ドアを叩く勇気、中に入る勇気、最初の一言の勇気、
猟犬みたいな犬がいる場合に対応する勇気(犬が苦手)、
断られた時でもすぐ前向きになる勇気、
成約がゼロでも続ける勇気、色々な勇気の体験をしながら実践。
多くの気づきがありました。
結果、成約はゼロでしたが、「物足りになさ」を解消する目的は、
少しは達成できたような気になりました。
 
成約ゼロについては、攻めの営業の未熟さや下手さは認めるとして、
業者の選定を間違えていました。
 宅建業者は、契約書類作成等を仕事としています。
新規の免許申請なら要領がわからないということもありますが、
更新の申請なら、新規の時の見本で時間さえあれば、
自ら作成することが容易で専門家への依頼は少なくなる。
という想像力が抜け落ちていました。
 私の都合が優先していたことに気づきました。

 この「気づき」が建設業者への「飛び込み」となります。
が、ここでも「壁」にぶち当たります。
 建設業者は「現場」が仕事場で事業所にはいなかったのです。
営業する相手がいないのです。当然と言えば当然のことですネ。

 この「壁」を乗り越えるのが、
建設業者の「組合」への飛び込みでした。
そこが、「ある人」と出会った、左京区、聖護院にあった
京都市左官協同組合(現京都左官組合・
京都府左官工業協同組合と合併)だったのです。

 「ある人」と向かい合った私は、
「建設業許可更新」の営業で「飛び込んだ」ことを話しました。
 「今はないけど、来年早々に更新期限を迎える業者がある」
 「その前に理事会もある」。その後、私は、理事会や委員会、
部会にも出席、組合員事業所のさざまな相談にも乗ることになりました。
 そんな中で、中央会の佐々木さんと出会うことになります。

 「ある人」の出会いから4年を経た、平成7年、中央会が実施する、
京都府左官工業協同組合と京都市左官協同組合、
合同の「活路開拓ビジョン調査事業」で、京大教授や
京都府・京都市の産業振興課課長とともに委員を務めることとなり、
平成9年の京都府・京都市の左官協同組合の合併にも関わることとなります。
 余談になりますが、この合併の時の京都市の理事長がYさんの
山本勝巳さん。京都府の理事長が村上博さん。
後継社長の村上一博さんは、現在、住まい研究会の副理事長で、
左官組合の理事長です。

「平成10年度構造改革支援集中指導事業」の「コーディネーター」の依頼は、
このような経緯を経てのことでした。
 そして、平成10年度事業の「報告書」完成後、
報告内容を「実践しょう」との「声」があがります。
 この「声」が協同組合京都健康住まい研究会の「産声」となりました。
 「産声」に共鳴した人たちの「研究会育て」がはじまります。
 
 創業時に乗り越えた「壁」、乗り越えられなかった「壁」。
一喜一憂、紆余曲折しながら「協同組合」自体が持つ課題と
「会員」として有効な関係を如何に築くかという「問い」が続くことになります。
                       (令和2年10月②記)
                         つづく

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